日露戦争(にちろせんそう、ロシア語: Русско-японская война〈ルースカ・ヤポーンスカヤ・ヴァイナー〉)は、1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月にかけて大日本帝国(日本)と南下政策を行うロシア帝国との間で行われた戦争である。朝鮮半島と満洲の権益をめぐる争いが原因となって引き起こされ、満洲南部と遼東半島がおもな戦場となったほか、日本近海でも大規模な艦隊戦が繰り広げられた。最終的に両国はアメリカ合衆国の斡旋の下で、ポーツマス条約を締結した。 講和条約の中で日本は、朝鮮半島における権益を認めさせ、ロシア領であった樺太の南半分を割譲させ、またロシアが清国から受領していた大連と旅順の租借権を獲得した。同様に東清鉄道の旅順 - 長春間支線の租借権も得るに至った。しかし交渉の末、賠償金を得るには至らず戦後外務省に対する不満が軍民などから高まった。

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  • 日露戦争(にちろせんそう、ロシア語: Русско-японская война〈ルースカ・ヤポーンスカヤ・ヴァイナー〉)は、1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月にかけて大日本帝国(日本)と南下政策を行うロシア帝国との間で行われた戦争である。朝鮮半島と満洲の権益をめぐる争いが原因となって引き起こされ、満洲南部と遼東半島がおもな戦場となったほか、日本近海でも大規模な艦隊戦が繰り広げられた。最終的に両国はアメリカ合衆国の斡旋の下で、ポーツマス条約を締結した。 講和条約の中で日本は、朝鮮半島における権益を認めさせ、ロシア領であった樺太の南半分を割譲させ、またロシアが清国から受領していた大連と旅順の租借権を獲得した。同様に東清鉄道の旅順 - 長春間支線の租借権も得るに至った。しかし交渉の末、賠償金を得るには至らず戦後外務省に対する不満が軍民などから高まった。 (ja)
  • 日露戦争(にちろせんそう、ロシア語: Русско-японская война〈ルースカ・ヤポーンスカヤ・ヴァイナー〉)は、1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月にかけて大日本帝国(日本)と南下政策を行うロシア帝国との間で行われた戦争である。朝鮮半島と満洲の権益をめぐる争いが原因となって引き起こされ、満洲南部と遼東半島がおもな戦場となったほか、日本近海でも大規模な艦隊戦が繰り広げられた。最終的に両国はアメリカ合衆国の斡旋の下で、ポーツマス条約を締結した。 講和条約の中で日本は、朝鮮半島における権益を認めさせ、ロシア領であった樺太の南半分を割譲させ、またロシアが清国から受領していた大連と旅順の租借権を獲得した。同様に東清鉄道の旅順 - 長春間支線の租借権も得るに至った。しかし交渉の末、賠償金を得るには至らず戦後外務省に対する不満が軍民などから高まった。 (ja)
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  • 上から時計回りに旅順で砲撃される巡洋艦パルラダ、奉天でのロシア軍騎兵、ケムルポ湾での巡洋艦ヴァリャーグと砲艦コレーツ、旅順での日本軍戦死者、鴨緑江を渡る日本軍歩兵。 (ja)
  • 上から時計回りに旅順で砲撃される巡洋艦パルラダ、奉天でのロシア軍騎兵、ケムルポ湾での巡洋艦ヴァリャーグと砲艦コレーツ、旅順での日本軍戦死者、鴨緑江を渡る日本軍歩兵。 (ja)
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  • 大日本帝国の勝利、ポーツマス条約締結
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  • 約136万5000人(トータル)約700000人(ピーク)
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  • 上から時計回りに旅順で砲撃される巡洋艦パルラダ、奉天でのロシア軍騎兵、ケムルポ湾での巡洋艦ヴァリャーグと砲艦コレーツ、旅順での日本軍戦死者、鴨緑江を渡る日本軍歩兵。 (ja)
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  • 戦没8万1210人、 うち戦死戦傷死は 5万2,623人 (ja)
  • 戦没8万8,429人, うち戦死戦傷死は 5万5,655人 (ja)
  • 捕虜1,800人 (ja)
  • 捕虜7万9,000人 (ja)
  • 病死2万7,192人 (ja)
  • 病死2万人 (ja)
  • 負傷14万6,032人 (ja)
  • 負傷者15万3,584人 (ja)
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  • エヴゲーニイ・アレクセーエフ (ja)
  • ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー (ja)
  • 明治天皇 大山巌 * 児玉源太郎 * 黒木為楨 * 奥保鞏 * 乃木希典 * 野津道貫 * 川村景明 東郷平八郎 * 島村速雄 * 上村彦之丞 * 片岡七郎 (ja)
  • ニコライ2世 アレクセイ・クロパトキン * ニコライ・リネウィッチ * アレクサンドル・カウリバルス * アレクサンドル・ビルデルリング * オスカル・フェルディナント・グリッペンベルク * アナトーリイ・ステッセリ ステパン・マカロフ (ja)
  • エヴゲーニイ・アレクセーエフ (ja)
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  • 日露戦争 (ja)
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