2月革命(2がつかくめい、露: Февральская революция, 英: February Revolution)は、1917年に第一次世界大戦中で敗色濃厚で国内が食糧不足であったロシア帝国で戦争継続と専制政治(ツァーリズム)に反対する大規模なデモへのロシア皇帝による鎮圧、それに対する兵士の反発・職務放棄から発生した民主革命(市民革命)である。デモ発生3日目から全市に拡大したデモ隊と鎮圧側との武力衝突が本格化したが、5日目であるユリウス暦2月27日朝には近衛のボルイニ連隊による民衆への発砲出動拒否を皮切りに、急速に他の部隊に波及した。反乱に賛同した兵士たちはデモ参加者らと共に政治犯を解放しだした。デモ発生6日目には政府軍が消滅し、7日目になるまでに政府閣僚が逮捕された。ユリウス歴2月27日に国会臨時委員会が設立、ユリウス歴3月2日に国会臨時委員会主導で臨時政府ではあったが、カデットなどから構成される政権が出来たことでロシア初の民主派政権が誕生した。同日、ツァーリのニコライ2世は退位し、弟のミハイル大公に譲位したが、ミハイル大公が即位を拒否した。ツァーリが存在しなくなったことで、300年間続いたロマノフ王朝が崩壊した。事実上自由主義者のみで構成されていた臨時政府は内政では画期的な民主政策を行ったが、外交において戦争継続路線を取ったことは社会主義革命である十月革命に繋がり、結果的に2月革命による帝政の崩壊はソビエト連邦の誕生につながった。