プロイセン王国(プロイセンおうこく、独: Königreich Preußen)は、ホーエンツォレルン家の君主が統治したヨーロッパの王国である。現在のドイツ北部からポーランド西部にかけてを領土とし、首都はベルリンにあった。 プロイセンの語源となったプルーセンはドイツ騎士団に征服され、1224年にドイツ騎士団国が作られた。ドイツ騎士団国は1525年にプロイセン公国(公領プロイセン)となる。1618年、公国はブランデンブルク選帝侯領とともに、同君連合であるブランデンブルク=プロイセンを構成した。君主フリードリヒ・ヴィルヘルムはオランダ総督との姻戚関係によって威勢を増し、1701年にプロイセン王国となった。王国は軍国主義的な国家として成長し続け、オーストリア継承戦争・七年戦争・普墺戦争・普仏戦争などの欧州大戦に次々と勝利し、プロイセンを盟主とするドイツ帝国が誕生する。 1918年からドイツ革命や第一次世界大戦の敗戦により王政は廃止され、ヴァイマル共和政のプロイセン自由州となった。()