ソ連対日参戦(ソれんたいにちさんせん)は、満洲国において1945年(昭和20年)8月9日未明に開始された大日本帝国陸軍の関東軍、支那派遣軍と極東ソ連軍との間で行われた満州・北朝鮮・北支における一連の作戦・戦闘と、大日本帝国陸軍の第五方面軍とソ連の極東ソ連軍との間で行われた南樺太・千島列島における一連の作戦・戦闘のこと。 ソ連は満洲・樺太・千島侵攻のために総兵力147万人、戦車・自走砲5250輌、航空機5170機を準備し、8日夜に宣戦布告、9日未明に満洲への侵攻作戦を、11日に樺太への侵攻作戦を開始し、第二次世界大戦における日本の降伏を決定付けた。 日本の防衛省防衛研究所戦史部では、この一連の戦闘を対ソ防衛戦(たいソぼうえいせん)と呼称した。日ソ戦争(にちソせんそう)とも呼称された。一方、ソ連(ロシア)側では《Советско-японская_война》(ソ日戦争)と呼称している。 この戦闘により、ソ連軍および中国兵による陸軍兵及び満州・中国居留民へのやシベリア抑留・中国残留日本人等の問題が発生した。