北条 義時(ほうじょう よしとき、長寛元年(1163年) - 元仁元年(1224年))は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士。北条氏の一門。鎌倉幕府の第2代執権。伊豆国の在地豪族・北条時政の次男。北条政子の弟。得宗家2代当主。 1219年に、源氏将軍が断絶すると、得宗の義時が鎌倉幕府の実質的な指導者となった。幕府と朝廷の対立が激化すると、1221年に後鳥羽上皇より義時追討の宣旨が全国に発布され朝敵となるも、幕府軍は京都に攻め上り朝廷を制圧。後鳥羽を含む3人の上皇を配流し、践祚していた後鳥羽の孫の懐成親王(九条廃帝。明治時代に仲恭天皇と諡)を廃した(承久の乱)。