北元(ほくげん、拼音:Běiyuán)は、1368年に、元(大元)の第14代ハーンのトゴン・テムル・ハーン(在位:1333年 - 1370年)が長江流域に興った明の北伐を逃れて大都(現在の北京)からモンゴル高原に撤退し、中国の漢民族定住農耕地域を失ってから後の大元ウルス(モンゴル帝国の皇帝直轄政権)についての後世の呼び方のことである。この政権に属する遊牧諸部族を同時代の漢文史料では韃靼(だったん、拼音:dádá)と呼び、日本では韃靼のカタカナ表記であるタタールという名称も用いられる。モンゴルの歴史書ではドチン・ドルベンと呼ばれており、「ドチン」はクビライの子孫が治めるモンゴル本土、「ドルベン」はオイラトのこと。