セチェク妃子(モンゴル語:Цэцэг хатан 、中国語:齐齐克妣吉または栖栖克、彻彻克、阿勒坦妣吉、? - 1453年?)は、オイラトの首長で、清朝皇帝以前の非チンギス・カン裔としては唯一ハーンに即位したモンゴル貴族であるエセン・ハーンの娘。史料によっては名はセチェク・ベキと表記される。 ハルグチュク・タイジと結婚し、遺児であるボルフ・ジノン(バヤン・モンケ)を儲けた。ボルフ・ジノンの子が、モンゴル再統一を成し遂げた中興の祖と称されるダヤン・ハーンである為、セチェク妃子はダヤン・ハーンの祖母にあたる。