赤穂事件(あこうじけん)は、18世紀初頭(江戸時代)の元禄年間に、江戸城・松之大廊下で、高家の吉良義央に斬りつけたとして、播磨赤穂藩藩主の浅野長矩が切腹に処せられた事件。さらにその後、亡き主君の浅野長矩に代わり、家臣の大石良雄以下47人が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央らを討った事件を指すものである(「江戸城での刃傷」と「吉良邸討ち入り」を分けて扱い、後者を『元禄赤穂事件』としている場合もある)。