天城池田家(あまきいけだけ)は、江戸時代の岡山藩主池田家の一族で、備前天城の領主。 初代池田由之は池田輝政の兄池田元助の嫡男で、輝政に仕え、伯耆米子3万2000石を領した。2代由成が、藩主光政の岡山移封に伴い米子から備前に移り、寛永16年(1639年)天城に陣屋を構え代々領したため、天城池田家と呼ばれた。また、由成は赤穂事件で知られる大石良雄の外祖父にあたる。このため、元禄14年(1701年)の赤穂事件の際に、4代由勝は大石良雄の縁戚(従兄弟)であることを理由に2000石を減じられ、以降禄高3万石となる。6代政純は水戸藩主徳川治紀の生母一条溢子の外祖父にあたる。幕末期に幼少で家督を継いだ11代政和は、明治24年(1891年)に男爵に叙され華族となった。