日本女子体育専門学校(にほんじょしたいいくせんもんがっこう)は、東京府荏原郡松沢村(閉校時は東京都世田谷区松原)に存在した旧制女子専門学校。日本女子体育短期大学・日本女子体育大学の前身となった学校である。二階堂トクヨが個人で開設した二階堂体操塾(にかいどうたいそうじゅく)を起源とする。 代々木の民家を改修した小さな塾舎で女性体操教師の育成を目的に設立し、1期生からほぼ全員が中等学校へ就職した。関東大震災を契機に松沢村へ移転し、昭和初期には日本最大の女性体操教師養成機関に発展した一方で、人見絹枝が卒業して以降はスポーツを志す生徒が多く入学し、女性アスリートの養成機関を兼ねるようになった。重要な教材としてダンスを採用し、女性らしい健康な心と体づくりを掲げて厳格な教育を施した。