大谷 武一(おおたに ぶいち、1887年〈明治20年〉5月14日 - 1966年〈昭和41年〉1月29日)は、大正から昭和期の日本の指導者。ラジオ体操の考案者の1人。ソフトボール競技、ハンドボール競技を日本へと紹介。また、それまで「デッドボール」と呼ばれていた競技を「ドッジボール」に改名、主に学校体育において普及に努めた。ウェイトリフティング競技の普及にも寄与した。元会長。東京教育大学体育学部初代学部長。兵庫県加西市出身。