村正(むらまさ、初代の生年は文亀元年(1501年)以前)、通称千子村正(せんご むらまさ)は、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)で活躍した刀工。千子派の祖。およびその名跡、その作になる日本刀の名。同銘で六代以上あり、中でも右衛門尉村正(文亀・永正頃(1501–1521年頃)に活躍)と藤原朝臣村正(大永・天文頃(1521-1555年頃)に活躍)が最大の名工だが、名跡そのものは少なくとも寛文8年(1668年)まで存続した。 史上最も有名な刀工名の一つ。その作は武器としての日本刀の代名詞で、斬味凄絶無比と名高く、精強で知られる三河武士を中心に、将軍徳川家康・関白豊臣秀次ら天下人を含む戦国時代の武将から至上の業物(実戦刀)として愛用された。さらに、刀剣美術としても、南北朝後の室町・戦国時代(1394–1596年)を代表する巨匠で、覇気を放つ鋭い作風で知られ、芸術品としての村正を賞美した蒐集家に伊藤博文などがいる。技法としては、刀鍛冶の本流五箇伝の一つ美濃伝を基礎に、山城伝、島田派、末相州等の技を取り入れて独自の作域に達し、刃文を表裏揃える村正刃(千子刃)などの様式を広めた。 また、江戸時代以降は妖刀伝説が広く世に広まって風評被害を受けたが、倒幕の象徴として西郷隆盛ら志士に愛用され、一方で歌舞伎・浮世絵を始めとする創作物で村正が題材の傑作も生まれた。

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  • 村正(むらまさ、初代の生年は文亀元年(1501年)以前)、通称千子村正(せんご むらまさ)は、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)で活躍した刀工。千子派の祖。およびその名跡、その作になる日本刀の名。同銘で六代以上あり、中でも右衛門尉村正(文亀・永正頃(1501–1521年頃)に活躍)と藤原朝臣村正(大永・天文頃(1521-1555年頃)に活躍)が最大の名工だが、名跡そのものは少なくとも寛文8年(1668年)まで存続した。 史上最も有名な刀工名の一つ。その作は武器としての日本刀の代名詞で、斬味凄絶無比と名高く、精強で知られる三河武士を中心に、将軍徳川家康・関白豊臣秀次ら天下人を含む戦国時代の武将から至上の業物(実戦刀)として愛用された。さらに、刀剣美術としても、南北朝後の室町・戦国時代(1394–1596年)を代表する巨匠で、覇気を放つ鋭い作風で知られ、芸術品としての村正を賞美した蒐集家に伊藤博文などがいる。技法としては、刀鍛冶の本流五箇伝の一つ美濃伝を基礎に、山城伝、島田派、末相州等の技を取り入れて独自の作域に達し、刃文を表裏揃える村正刃(千子刃)などの様式を広めた。 また、江戸時代以降は妖刀伝説が広く世に広まって風評被害を受けたが、倒幕の象徴として西郷隆盛ら志士に愛用され、一方で歌舞伎・浮世絵を始めとする創作物で村正が題材の傑作も生まれた。 (ja)
  • 村正(むらまさ、初代の生年は文亀元年(1501年)以前)、通称千子村正(せんご むらまさ)は、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)で活躍した刀工。千子派の祖。およびその名跡、その作になる日本刀の名。同銘で六代以上あり、中でも右衛門尉村正(文亀・永正頃(1501–1521年頃)に活躍)と藤原朝臣村正(大永・天文頃(1521-1555年頃)に活躍)が最大の名工だが、名跡そのものは少なくとも寛文8年(1668年)まで存続した。 史上最も有名な刀工名の一つ。その作は武器としての日本刀の代名詞で、斬味凄絶無比と名高く、精強で知られる三河武士を中心に、将軍徳川家康・関白豊臣秀次ら天下人を含む戦国時代の武将から至上の業物(実戦刀)として愛用された。さらに、刀剣美術としても、南北朝後の室町・戦国時代(1394–1596年)を代表する巨匠で、覇気を放つ鋭い作風で知られ、芸術品としての村正を賞美した蒐集家に伊藤博文などがいる。技法としては、刀鍛冶の本流五箇伝の一つ美濃伝を基礎に、山城伝、島田派、末相州等の技を取り入れて独自の作域に達し、刃文を表裏揃える村正刃(千子刃)などの様式を広めた。 また、江戸時代以降は妖刀伝説が広く世に広まって風評被害を受けたが、倒幕の象徴として西郷隆盛ら志士に愛用され、一方で歌舞伎・浮世絵を始めとする創作物で村正が題材の傑作も生まれた。 (ja)
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  • 村正(むらまさ、初代の生年は文亀元年(1501年)以前)、通称千子村正(せんご むらまさ)は、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)で活躍した刀工。千子派の祖。およびその名跡、その作になる日本刀の名。同銘で六代以上あり、中でも右衛門尉村正(文亀・永正頃(1501–1521年頃)に活躍)と藤原朝臣村正(大永・天文頃(1521-1555年頃)に活躍)が最大の名工だが、名跡そのものは少なくとも寛文8年(1668年)まで存続した。 史上最も有名な刀工名の一つ。その作は武器としての日本刀の代名詞で、斬味凄絶無比と名高く、精強で知られる三河武士を中心に、将軍徳川家康・関白豊臣秀次ら天下人を含む戦国時代の武将から至上の業物(実戦刀)として愛用された。さらに、刀剣美術としても、南北朝後の室町・戦国時代(1394–1596年)を代表する巨匠で、覇気を放つ鋭い作風で知られ、芸術品としての村正を賞美した蒐集家に伊藤博文などがいる。技法としては、刀鍛冶の本流五箇伝の一つ美濃伝を基礎に、山城伝、島田派、末相州等の技を取り入れて独自の作域に達し、刃文を表裏揃える村正刃(千子刃)などの様式を広めた。 また、江戸時代以降は妖刀伝説が広く世に広まって風評被害を受けたが、倒幕の象徴として西郷隆盛ら志士に愛用され、一方で歌舞伎・浮世絵を始めとする創作物で村正が題材の傑作も生まれた。 (ja)
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  • 村正 (ja)
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