岩松 八弥(いわまつ はちや、生年不詳 - (一説に)天文18年3月6日(1549年4月3日))は、戦国時代に三河国岡崎城主松平広忠(徳川家康の父)を脇差で両断した(または刺殺した)との伝承がある人物。山岡荘八の小説『徳川家康』に取り上げられて流布したほか、これを史実として肯定する説がある(後述)。刺突した史料上の初見は、1600年代前半『松平記』および『三河後風土記』と江戸初期からあるが、刺殺説は『岡崎領主古記』などかなり時代が下る。