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- ジギスムント(Sigismund, 1368年2月15日 - 1437年12月9日)は、ルドルフ1世から続く9代目の非世襲ローマ王(ドイツ王、在位:1410年 - 1437年)、ルクセンブルク家として4人目で最後。元はハンガリー王ジグモンド(Zsigmond、在位:1387年 - 1437年)、さらに兄ヴェンツェルの後を継いでボヘミア王ジクムント(Zikmund、在位:1419年 - 1437年)。一時期はルクセンブルク公(在位:1378年 - 1388年)、ブランデンブルク選帝侯(在位:1378年 - 1388年、1411年 - 1415年)でもあった。晩年に神聖ローマ帝国皇帝としても戴冠してシギスムンドゥス・ルクセンブルギクス(戴冠:1433年 - 1437年)。フランス名はシジスモン(Sigismond)。 父はローマ皇帝カール4世、母は4番目の妃でポーランド王カジミェシュ3世の孫娘エリーザベト。ニュルンベルクで生まれた。ローマ王ヴェンツェルの異母弟。在位中の1415年、自らが兼ねるブランデンブルク選帝侯をホーエンツォレルン家のニュルンベルク城伯フリードリヒ6世に譲渡した。半世紀にわたりハンガリー王として在位し、治世後半にはローマ皇帝およびボヘミア王も兼ねたが、その死によって皇帝家・王家としてのルクセンブルク家は事実上断絶した。 (ja)
- ジギスムント(Sigismund, 1368年2月15日 - 1437年12月9日)は、ルドルフ1世から続く9代目の非世襲ローマ王(ドイツ王、在位:1410年 - 1437年)、ルクセンブルク家として4人目で最後。元はハンガリー王ジグモンド(Zsigmond、在位:1387年 - 1437年)、さらに兄ヴェンツェルの後を継いでボヘミア王ジクムント(Zikmund、在位:1419年 - 1437年)。一時期はルクセンブルク公(在位:1378年 - 1388年)、ブランデンブルク選帝侯(在位:1378年 - 1388年、1411年 - 1415年)でもあった。晩年に神聖ローマ帝国皇帝としても戴冠してシギスムンドゥス・ルクセンブルギクス(戴冠:1433年 - 1437年)。フランス名はシジスモン(Sigismond)。 父はローマ皇帝カール4世、母は4番目の妃でポーランド王カジミェシュ3世の孫娘エリーザベト。ニュルンベルクで生まれた。ローマ王ヴェンツェルの異母弟。在位中の1415年、自らが兼ねるブランデンブルク選帝侯をホーエンツォレルン家のニュルンベルク城伯フリードリヒ6世に譲渡した。半世紀にわたりハンガリー王として在位し、治世後半にはローマ皇帝およびボヘミア王も兼ねたが、その死によって皇帝家・王家としてのルクセンブルク家は事実上断絶した。 (ja)
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- ジクムント (ja)
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- Sigismund / Zsigmond (ja)
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- ハンガリー王 (ja)
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- ボヘミア王 (ja)
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- (アルブレヒト・デューラーによる16世紀の作) (ja)
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- ジギスムント(Sigismund, 1368年2月15日 - 1437年12月9日)は、ルドルフ1世から続く9代目の非世襲ローマ王(ドイツ王、在位:1410年 - 1437年)、ルクセンブルク家として4人目で最後。元はハンガリー王ジグモンド(Zsigmond、在位:1387年 - 1437年)、さらに兄ヴェンツェルの後を継いでボヘミア王ジクムント(Zikmund、在位:1419年 - 1437年)。一時期はルクセンブルク公(在位:1378年 - 1388年)、ブランデンブルク選帝侯(在位:1378年 - 1388年、1411年 - 1415年)でもあった。晩年に神聖ローマ帝国皇帝としても戴冠してシギスムンドゥス・ルクセンブルギクス(戴冠:1433年 - 1437年)。フランス名はシジスモン(Sigismond)。 父はローマ皇帝カール4世、母は4番目の妃でポーランド王カジミェシュ3世の孫娘エリーザベト。ニュルンベルクで生まれた。ローマ王ヴェンツェルの異母弟。在位中の1415年、自らが兼ねるブランデンブルク選帝侯をホーエンツォレルン家のニュルンベルク城伯フリードリヒ6世に譲渡した。半世紀にわたりハンガリー王として在位し、治世後半にはローマ皇帝およびボヘミア王も兼ねたが、その死によって皇帝家・王家としてのルクセンブルク家は事実上断絶した。 (ja)
- ジギスムント(Sigismund, 1368年2月15日 - 1437年12月9日)は、ルドルフ1世から続く9代目の非世襲ローマ王(ドイツ王、在位:1410年 - 1437年)、ルクセンブルク家として4人目で最後。元はハンガリー王ジグモンド(Zsigmond、在位:1387年 - 1437年)、さらに兄ヴェンツェルの後を継いでボヘミア王ジクムント(Zikmund、在位:1419年 - 1437年)。一時期はルクセンブルク公(在位:1378年 - 1388年)、ブランデンブルク選帝侯(在位:1378年 - 1388年、1411年 - 1415年)でもあった。晩年に神聖ローマ帝国皇帝としても戴冠してシギスムンドゥス・ルクセンブルギクス(戴冠:1433年 - 1437年)。フランス名はシジスモン(Sigismond)。 父はローマ皇帝カール4世、母は4番目の妃でポーランド王カジミェシュ3世の孫娘エリーザベト。ニュルンベルクで生まれた。ローマ王ヴェンツェルの異母弟。在位中の1415年、自らが兼ねるブランデンブルク選帝侯をホーエンツォレルン家のニュルンベルク城伯フリードリヒ6世に譲渡した。半世紀にわたりハンガリー王として在位し、治世後半にはローマ皇帝およびボヘミア王も兼ねたが、その死によって皇帝家・王家としてのルクセンブルク家は事実上断絶した。 (ja)
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- ジギスムント (神聖ローマ皇帝) (ja)
- ジギスムント (神聖ローマ皇帝) (ja)
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