モスクワのクレムリンの中にある生神女就寝大聖堂(しょうしんじょしゅうしんだいせいどう、Успенский Собор)は、かつてのモスクワ大公国の母教会であり、ロシア正教会の著名な大聖堂である。大聖堂はクレムリン の大聖堂広場に接しており、1475年から1479年にかけて、イタリア人建築家によって建設された。 ロシア語名である"Успенский собор"(ウスペンスキー サボール)の前半部をそのまま転写してウスペンスキー大聖堂とも呼ばれる。 "Успенский"(ウスペンスキー)は、「眠り」「永眠」「生神女就寝祭」を表す"Успение"(ウスペニイェ)に由来する。生神女(しょうしんじょ)とは正教会における、聖母マリアを指す称号であり、日本正教会による訳語。生神女就寝祭とは生神女の永眠を記憶する祭であり、これを記憶するのが生神女就寝聖堂である。従って当大聖堂を日本語訳すれば「生神女就寝大聖堂」となる。 聖母被昇天の教義はカトリック教会のものであり、正教会では「被昇天」の語は用いずあくまで「就寝」との語を用いる。従って当記事で扱う正教会の聖堂に「聖母被昇天聖堂」等の訳を当てるのは誤りである。

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  • モスクワのクレムリンの中にある生神女就寝大聖堂(しょうしんじょしゅうしんだいせいどう、Успенский Собор)は、かつてのモスクワ大公国の母教会であり、ロシア正教会の著名な大聖堂である。大聖堂はクレムリン の大聖堂広場に接しており、1475年から1479年にかけて、イタリア人建築家によって建設された。 ロシア語名である"Успенский собор"(ウスペンスキー サボール)の前半部をそのまま転写してウスペンスキー大聖堂とも呼ばれる。 "Успенский"(ウスペンスキー)は、「眠り」「永眠」「生神女就寝祭」を表す"Успение"(ウスペニイェ)に由来する。生神女(しょうしんじょ)とは正教会における、聖母マリアを指す称号であり、日本正教会による訳語。生神女就寝祭とは生神女の永眠を記憶する祭であり、これを記憶するのが生神女就寝聖堂である。従って当大聖堂を日本語訳すれば「生神女就寝大聖堂」となる。 聖母被昇天の教義はカトリック教会のものであり、正教会では「被昇天」の語は用いずあくまで「就寝」との語を用いる。従って当記事で扱う正教会の聖堂に「聖母被昇天聖堂」等の訳を当てるのは誤りである。 (ja)
  • モスクワのクレムリンの中にある生神女就寝大聖堂(しょうしんじょしゅうしんだいせいどう、Успенский Собор)は、かつてのモスクワ大公国の母教会であり、ロシア正教会の著名な大聖堂である。大聖堂はクレムリン の大聖堂広場に接しており、1475年から1479年にかけて、イタリア人建築家によって建設された。 ロシア語名である"Успенский собор"(ウスペンスキー サボール)の前半部をそのまま転写してウスペンスキー大聖堂とも呼ばれる。 "Успенский"(ウスペンスキー)は、「眠り」「永眠」「生神女就寝祭」を表す"Успение"(ウスペニイェ)に由来する。生神女(しょうしんじょ)とは正教会における、聖母マリアを指す称号であり、日本正教会による訳語。生神女就寝祭とは生神女の永眠を記憶する祭であり、これを記憶するのが生神女就寝聖堂である。従って当大聖堂を日本語訳すれば「生神女就寝大聖堂」となる。 聖母被昇天の教義はカトリック教会のものであり、正教会では「被昇天」の語は用いずあくまで「就寝」との語を用いる。従って当記事で扱う正教会の聖堂に「聖母被昇天聖堂」等の訳を当てるのは誤りである。 (ja)
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  • モスクワのクレムリンの中にある生神女就寝大聖堂(しょうしんじょしゅうしんだいせいどう、Успенский Собор)は、かつてのモスクワ大公国の母教会であり、ロシア正教会の著名な大聖堂である。大聖堂はクレムリン の大聖堂広場に接しており、1475年から1479年にかけて、イタリア人建築家によって建設された。 ロシア語名である"Успенский собор"(ウスペンスキー サボール)の前半部をそのまま転写してウスペンスキー大聖堂とも呼ばれる。 "Успенский"(ウスペンスキー)は、「眠り」「永眠」「生神女就寝祭」を表す"Успение"(ウスペニイェ)に由来する。生神女(しょうしんじょ)とは正教会における、聖母マリアを指す称号であり、日本正教会による訳語。生神女就寝祭とは生神女の永眠を記憶する祭であり、これを記憶するのが生神女就寝聖堂である。従って当大聖堂を日本語訳すれば「生神女就寝大聖堂」となる。 聖母被昇天の教義はカトリック教会のものであり、正教会では「被昇天」の語は用いずあくまで「就寝」との語を用いる。従って当記事で扱う正教会の聖堂に「聖母被昇天聖堂」等の訳を当てるのは誤りである。 (ja)
  • モスクワのクレムリンの中にある生神女就寝大聖堂(しょうしんじょしゅうしんだいせいどう、Успенский Собор)は、かつてのモスクワ大公国の母教会であり、ロシア正教会の著名な大聖堂である。大聖堂はクレムリン の大聖堂広場に接しており、1475年から1479年にかけて、イタリア人建築家によって建設された。 ロシア語名である"Успенский собор"(ウスペンスキー サボール)の前半部をそのまま転写してウスペンスキー大聖堂とも呼ばれる。 "Успенский"(ウスペンスキー)は、「眠り」「永眠」「生神女就寝祭」を表す"Успение"(ウスペニイェ)に由来する。生神女(しょうしんじょ)とは正教会における、聖母マリアを指す称号であり、日本正教会による訳語。生神女就寝祭とは生神女の永眠を記憶する祭であり、これを記憶するのが生神女就寝聖堂である。従って当大聖堂を日本語訳すれば「生神女就寝大聖堂」となる。 聖母被昇天の教義はカトリック教会のものであり、正教会では「被昇天」の語は用いずあくまで「就寝」との語を用いる。従って当記事で扱う正教会の聖堂に「聖母被昇天聖堂」等の訳を当てるのは誤りである。 (ja)
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  • 生神女就寝大聖堂 (モスクワ) (ja)
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