アレクサンドル・コンスタンティノヴィチ・グラズノフ(ロシア語: Алекса́ндр Константи́нович Глазуно́в, ラテン文字転写: Aleksandr Konstantinovich Glazunov, 1865年8月10日 - 1936年3月21日)は、ロシア帝国末期およびソビエト連邦建国期の作曲家・音楽教師・指揮者。ペテルブルク音楽院の院長を1906年から1917年にかけて務め、ペトログラード音楽院およびロシア革命後のレニングラード音楽院への改組を担った。グラズノフは、ロシア楽壇における民族主義(ペテルブルク楽派)と国際主義(モスクワ楽派)を巧みに融和させた重要人物である。