10月17日同盟(10がつ17にちどうめい、ロシア語: Союз 17 Октября)は、かつて存在したロシアの自由主義政党。「10月17日同盟」という党名は、1905年10月17日に発布された十月詔書に由来する。通称は「十月」(オクチャーブリ)にちなむオクチャブリストであり、十月党とも呼ばれる。 同じ自由主義政党の立憲民主党(カデット)よりも穏健な自由主義の立場をとっていた。1907年の第3国会では最多の議席数を獲得したほか、1917年の二月革命後の臨時政府においても閣僚を出した。