アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ(伊: Antonio Allegri da Correggio, 1489年頃–1534年)は、イタリア、盛期ルネサンスを代表する画家。主に宗教画を描いたが、晩年の神話画によって特に有名である。長命ではなかったがパルマの芸術文化において革新的かつ中心的な役割を果たし、後世に多大な影響を与えた。 コレッジョは当時の芸術の潮流から離れたパルマの地において、15世紀の人文主義とレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ・サンツィオ、ミケランジェロ・ブオナローティなどの芸術に触発され、それ以外にも様々な影響を受けながら16世紀を代表する画家へと成長していった。中でもダ・ヴィンチに由来する自然描写とスフマートに熟達し、崇高とも評される光の明暗、人物を柔らかく表情豊かに描いた絵画は親しみ深い詩的情緒にあふれているだけでなく、パルマ大聖堂天井画に見られる流動的かつイリュージョニスティックな空間表現によって、約100年後のバロックの先駆的存在と見なされている。こうしたコレッジョの芸術性の評価は17世紀以降次第に進められ、18世紀に最高潮に達し、とりわけアントン・ラファエル・メングスはコレッジョをラファエロ、ティツィアーノと比較し、ラファエロに次ぐ第2の位置にコレッジョを置くほどであった。

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  • アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ(伊: Antonio Allegri da Correggio, 1489年頃–1534年)は、イタリア、盛期ルネサンスを代表する画家。主に宗教画を描いたが、晩年の神話画によって特に有名である。長命ではなかったがパルマの芸術文化において革新的かつ中心的な役割を果たし、後世に多大な影響を与えた。 コレッジョは当時の芸術の潮流から離れたパルマの地において、15世紀の人文主義とレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ・サンツィオ、ミケランジェロ・ブオナローティなどの芸術に触発され、それ以外にも様々な影響を受けながら16世紀を代表する画家へと成長していった。中でもダ・ヴィンチに由来する自然描写とスフマートに熟達し、崇高とも評される光の明暗、人物を柔らかく表情豊かに描いた絵画は親しみ深い詩的情緒にあふれているだけでなく、パルマ大聖堂天井画に見られる流動的かつイリュージョニスティックな空間表現によって、約100年後のバロックの先駆的存在と見なされている。こうしたコレッジョの芸術性の評価は17世紀以降次第に進められ、18世紀に最高潮に達し、とりわけアントン・ラファエル・メングスはコレッジョをラファエロ、ティツィアーノと比較し、ラファエロに次ぐ第2の位置にコレッジョを置くほどであった。 ジョルジョ・ヴァザーリはコレッジョがローマを訪れていたら、もっと偉大な芸術家になったことは疑いないと考えたが、1518年頃から1520年頃を画期とし、それ以前と以降のコレッジョに大きな変化が見られるため、現在ではそれ以前にローマを訪れて当時の最新の芸術を吸収したことが定説と化している。しかし具体的な史料を欠いているため、それがどのようにして行われたのかは今もって謎に包まれており、実際にローマを訪れたのかどうかも含めてヴァザーリ以来論争が続いている。 (ja)
  • アントニオ・アッレグリ・ダ・コレッジョ(伊: Antonio Allegri da Correggio, 1489年頃–1534年)は、イタリア、盛期ルネサンスを代表する画家。主に宗教画を描いたが、晩年の神話画によって特に有名である。長命ではなかったがパルマの芸術文化において革新的かつ中心的な役割を果たし、後世に多大な影響を与えた。 コレッジョは当時の芸術の潮流から離れたパルマの地において、15世紀の人文主義とレオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ・サンツィオ、ミケランジェロ・ブオナローティなどの芸術に触発され、それ以外にも様々な影響を受けながら16世紀を代表する画家へと成長していった。中でもダ・ヴィンチに由来する自然描写とスフマートに熟達し、崇高とも評される光の明暗、人物を柔らかく表情豊かに描いた絵画は親しみ深い詩的情緒にあふれているだけでなく、パルマ大聖堂天井画に見られる流動的かつイリュージョニスティックな空間表現によって、約100年後のバロックの先駆的存在と見なされている。こうしたコレッジョの芸術性の評価は17世紀以降次第に進められ、18世紀に最高潮に達し、とりわけアントン・ラファエル・メングスはコレッジョをラファエロ、ティツィアーノと比較し、ラファエロに次ぐ第2の位置にコレッジョを置くほどであった。 ジョルジョ・ヴァザーリはコレッジョがローマを訪れていたら、もっと偉大な芸術家になったことは疑いないと考えたが、1518年頃から1520年頃を画期とし、それ以前と以降のコレッジョに大きな変化が見られるため、現在ではそれ以前にローマを訪れて当時の最新の芸術を吸収したことが定説と化している。しかし具体的な史料を欠いているため、それがどのようにして行われたのかは今もって謎に包まれており、実際にローマを訪れたのかどうかも含めてヴァザーリ以来論争が続いている。 (ja)
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  • 『自画像』 (ja)
  • それぞれトーヴァルセン美術館とエルミタージュ美術館所蔵。 (ja)
  • アルベルト・キュヒラーとオクターヴ・タサエールの1834年の絵画『コレッジョの死』。 (ja)
  • マンテーニャ『勝利の聖母』。 (ja)
  • コレッジョ『聖フランチェスコの聖母』。 (ja)
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