荘子(そうし、Zhuang Zi、紀元前369年頃 - 紀元前286年頃)は、中国戦国時代の宋の蒙(現在の河南省商丘市民権県)に生まれた思想家で、『荘子』(そうじ)の著者とされ、また道教の始祖の一人とされる人物である。姓は荘、名は周。字は子休とされるが、字についての確たる根拠に乏しい。曾子と区別するため「そうじ」と濁って読むのが日本の中国文学・中国哲学関係者の習慣となっている。『史記』には、「魏の恵王、斉の宣王と同時代の人である」と記録されている。 荘子が生まれた蒙の属する宋は当時弱小国の一つであった。荘子が生きていた時代に宋王剔成君は、弟の偃に追われ亡命し、偃がそのまま王位に就いた。しかし偃は暴逆により前286年、斉・楚・魏の連合軍により殺され、宋は分割され滅亡してしまう。 『史記』のある挿話には、楚の威王が荘子の評価を聞き宰相に迎えようとし、礼物を持って荘子を訪ねた。すると荘子は「千金は大したもの、宰相は最高の地位でしょう。しかし郊祭の生贄になる牛をご覧なさい。長年、美食で養われ、錦繍で飾られ、最後には祭壇にひかれていく。その時いっそ野放しの豚になりたいと思うも、手遅れなのです。わたしは自由を縛られるより、どぶの中で遊んでいたい。気の向くままに暮らしたいのです。」といい断った。