李 林甫(り りんぽ、永淳2年/弘道元年(683年) - 天宝11載11月24日(753年1月3日))は、唐代玄宗朝の政治家であり、唐朝の宗室出身。貴族派の代表として、張九齢など科挙出身者の派閥との権力抗争に勝ち、その後も他の政治家たちを謀略の末に追い落とし、19年も宰相の地位にあった。しかし、楊貴妃のいとこである外戚の楊国忠との権力争いに苦戦し、死後に庶民の地位に落とされた。安史の乱の遠因をつくるなど、唐王朝を衰退に向かわせたとされる。 李淵(唐の高祖)の祖父である李虎の五世孫にあたり、李淵の従弟にあたる長平王李叔良の孫。絵画の名手として知られた李思訓の弟の李思誨の子にあたる。兄は、子に李岫・李崿・李嶼・李崪がいる。