唱導(しょうどう)は、仏法を説いて衆生を導く語りものであり、数ある日本の話芸にとって、その源流のひとつでもある。日本史上では、とくに中世において大きな展開を遂げた。唱導はまた「唱道」とも表記し、「演説」「説法」「説教」「法説」「法談」「講義」など様々に呼称される。本来的には、唱導ないし説経とは仏教の経典を講じ教義を説くことであって、それ自体は文学でも芸能でもなかったが、文字の読み書きのできない庶民への教化という契機から音韻抑揚をともなうようになったものである。それはまた、比喩・因縁など文学方面の関心を強めることにもつながり、これを「唱導文学」と称する。 唱導は、古代の中国においても盛んで、ことに東晋代の高僧で仏教の中国化に功のあった廬山の慧遠はその達人であったといわれる。