マルティン・ルートヴィヒ・ボルマン(ドイツ語: Martin Ludwig Bormann、1900年6月17日 - 1945年5月2日)は、ドイツの政治家。国家社会主義ドイツ労働者党官房長として総統アドルフ・ヒトラーの側近を長らく務めた。 国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)総統アドルフ・ヒトラーの側近・個人秘書を長らく務め、その取り次ぎ役として権力を握った。副総統ルドルフ・ヘスの失脚後は党官房長となり、党のナンバー2となった。親衛隊名誉指導者でもあり、親衛隊における最終階級は親衛隊大将。ヒトラーの政治的遺書によってナチ党の党首にあたる党担当大臣として指名されたが、ベルリン陥落の混乱の中で消息を絶った。戦後長い間行方不明とされてきたが、総統地下壕脱出の際に青酸で服毒自殺していた事が近年証明された。