プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル(羅: Publius Cornelius Scipio Africanus Major, 紀元前236年 - 紀元前183年頃)は、共和政ローマの政治家、軍人。プリンケプス・セナトゥスに3回指名された。スキピオ・アフリカヌスと称され、妻の甥に当たるスキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ)と区別して大スキピオとも呼ばれる。第二次ポエニ戦争後期に活躍し、カルタゴの将軍ハンニバルをザマの戦いで破り戦争を終結させた。グラックス兄弟の外祖父にあたる。