阪東妻三郎プロダクション(ばんどうつまさぶろうプロダクション、1925年9月 設立 - 1936年12月 解散)は、かつて京都、のちに千葉の東京湾岸に存在した映画会社である。当時の若手人気俳優阪東妻三郎が設立した、日本初のスタープロダクションであり、また当時なにもなかった「太秦」の地に初めて撮影所を建設、130本以上の映画を製作した。1927年(昭和2年)に株式会社化、1931年(昭和6年)からの正式社名は大日本自由映画プロダクション(だいにっぽんじゆうえいがプロダクション)であった。