マキノトーキー製作所(マキノトーキーせいさくしょ、1935年11月 設立 - 1937年4月 解散)は、かつて京都に存在した映画会社である。当時27歳の映画監督・マキノ正博が、自ら開発した録音機材を投入して設立した初期のトーキー映画のプロダクションであり、1936年9月に組織変更しマキノトーキー株式会社となったが、短命に終わった。