私学校(しがっこう)とは、明治初期に鹿児島県に存在した学校の俗称。現在の鹿児島市城山町(鹿児島医療センター敷地)にあった。 当初、不平士族の暴発を抑えるための教育機関として発足したが、後に、私学校生徒の暴発により西南戦争の直接的原因をつくったため、薩軍の軍事拠点となった。