12代 山田 荘左衛門(やまだ しょうざえもん / そうざえもん、嘉永4年4月6日〈1851年5月6日〉 - 1917年〈大正6年〉10月1日)は、明治時代の政治家、明治・大正時代の実業家である。長野県下高井郡平野村(現・中野市)の地主で、長野県会議員・貴族院多額納税者議員・衆議院議員を歴任するとともに銀行・会社経営にも関わった。晩年は山田 荘哉(やまだ しょうさい)を名乗った。