越 寿三郎(こし じゅさぶろう、元治元年4月8日〈1864年5月13日〉 - 1932年〈昭和7年〉3月11日)は、明治から昭和戦前期にかけて活動した日本の実業家である。長野県上高井郡須坂町(現・須坂市)の人物で、「山丸組」の名で製糸業を経営したほか、同地の電力会社信濃電気や同社から派生した信越窒素肥料(現・信越化学工業)の社長を務めた。