大日本恵登呂府(だいにほんえとろふ、大日本恵土呂府とも表記される)は、寛政10年(1798年)と同12年(1800年)の2度にわたり、幕臣で探検家の近藤重蔵らによって択捉島内の2か所(南端に近いタンネモイ、北端のカモイワッカ岬(「カモイワッカ」は「カムイワッカ」とも記す)に建てられた標柱。