高田屋 嘉兵衛(たかだや かへえ、明和6年1月1日〈1769年2月7日〉- 文政10年4月5日〈1827年4月30日〉)は、江戸時代後期の廻船業者・海商。幼名は菊弥。淡路島出身。兵庫津に出て船乗りになり、後に廻船商人として蝦夷地・箱館(函館)に進出した。国後島・択捉島間の航路を開拓、漁場運営と廻船業で巨額の財を築き、箱館の発展に貢献する。ゴローニン事件でカムチャツカに連行されるが、日露交渉の間に立ち、事件解決へ導いた。