天長地久大日本属島(てんちょうちきゅうだいにほんぞくとう)は、江戸時代後期の幕臣富山元十郎(保高)らによって、享和元年(1801年)6月に得撫島に建てられた標柱。「天長地久」とは『老子』7章からの引用で「天長く地久し」の意味。