スチェパン・チモフェエヴィチ・ラージン(ロシア語: Степа́н Тимофе́евич Ра́зин、1630年 - 1671年6月16日(旧暦では6日))は、コサックのアタマンで、モスクワ・ロシア南部において貴族とツァーリの官僚機構に対する大がかりな抵抗運動を指揮した。日本でもいわゆるロシア民謡である『ステンカ・ラージン』と共に名高い。しばしばステンカ・ラージン(露: Сте́нька Ра́зин、英: Stenka Razin)とも呼ばれるが、「ステンカ/ステニカ」(Стенькаスチェーニカ)は「ステパン/スチェパン」(Степан)の縮小形の一つで愛称・卑称として用いられる。