ぶゑのすあいれす丸(ぶえのすあいれすまる、Buenos Aires Maru、ぶえのすあいれす丸)は、かつて大阪商船および大阪商船三井船舶が所有し運航していた貨客船および貨物船である。大阪商船所属の初代はぶゑのすあいれす丸級貨客船のネームシップとして西回り南米航路に就航して移民輸送に活躍し、太平洋戦争中に日本陸軍の病院船として運航され、爆撃によって劇的な最期を遂げた。大阪商船および大阪商船三井船舶所属の二代目は貨物船として、南米航路や欧州航路に就航した。 なお、船名表記については初代が「ぶゑのすあいれす丸」、二代目が「ぶえのすあいれす丸」であるが、初代に関しては、書物やパンフレットなどで「ゑ」ではなく「え」を使っているもの、「江」を崩した書体を使っているものもある。その他、後述の撃沈事件に関する報道では「え」である。