風船爆弾(ふうせんばくだん)とは、太平洋戦争において日本軍が開発・実戦投入した気球に爆弾を搭載した爆撃兵器である。日本本土から偏西風を利用して北太平洋を横断させ、時限装置による投下でアメリカ本土空襲を企図した。 1944年(昭和19年)11月初旬から1945年(昭和20年)3月まで9000個余りが放たれて、少なくとも300個程度が北アメリカ大陸に到達したとみられ、アメリカ合衆国西海岸のオレゴン州では6人が死亡した。実戦に用いられた兵器としても約7,700 km(茨城県からオレゴン州への概略大圏距離)は、発射地点から最遠地点への攻撃であった。戦果こそ僅少であったものの、ほぼ無誘導で、第二次世界大戦で用いられた兵器の到達距離としては最長であり、史上初めて大陸間を跨いで使用された兵器である。 秘匿名称は「ふ号兵器」。 「風船爆弾」は戦後の用語で、終戦間際に陸軍登戸研究所(神奈川県)へ配属された元職員は、「ふ号」「風船」は防諜のための符号であって当時の呼称は「気球爆弾」であり、「風船爆弾」は戦後のマスコミによる造語と述べているが、名古屋陸軍造兵廠に学徒勤労動員された女学生は「今日から君たちは風船爆弾を作ることになる」と訓示されたと回想している。