羽柴氏(はしばし/はじばうじ)は、武家・士族だった日本の氏族。木下藤吉郎(豊臣秀吉)は織田家重臣となった後の1575年に木下から羽柴に改めた。1585年に関白に就任するに際し近衛前久の養子となって藤原姓、翌年太政大臣就任に及んで朝廷から豊臣姓を受けた。秀吉政権下では一族や大名などに羽柴氏が称号として授与された。1615年の大坂夏の陣で豊臣秀頼が自害に追いやられたことで宗家は滅亡。明治になると日出藩主木下家の分家の交代寄合だったが羽柴に改姓して士族に列した。 ただし、同時代の出羽国にも「羽柴」姓を名乗る一族がいた。『』に名の見える羽柴勘十郎(橋間勘十郎、柴橋頼綱)などがいるが、この大江氏流寒河江氏の一族は上記の羽柴氏とは血縁などの関係はない。詳しくは「柴橋氏」の項目を参照。現在も山形県には羽柴を名乗る家が存在する。

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  • 羽柴氏(はしばし/はじばうじ)は、武家・士族だった日本の氏族。木下藤吉郎(豊臣秀吉)は織田家重臣となった後の1575年に木下から羽柴に改めた。1585年に関白に就任するに際し近衛前久の養子となって藤原姓、翌年太政大臣就任に及んで朝廷から豊臣姓を受けた。秀吉政権下では一族や大名などに羽柴氏が称号として授与された。1615年の大坂夏の陣で豊臣秀頼が自害に追いやられたことで宗家は滅亡。明治になると日出藩主木下家の分家の交代寄合だったが羽柴に改姓して士族に列した。 ただし、同時代の出羽国にも「羽柴」姓を名乗る一族がいた。『』に名の見える羽柴勘十郎(橋間勘十郎、柴橋頼綱)などがいるが、この大江氏流寒河江氏の一族は上記の羽柴氏とは血縁などの関係はない。詳しくは「柴橋氏」の項目を参照。現在も山形県には羽柴を名乗る家が存在する。 (ja)
  • 羽柴氏(はしばし/はじばうじ)は、武家・士族だった日本の氏族。木下藤吉郎(豊臣秀吉)は織田家重臣となった後の1575年に木下から羽柴に改めた。1585年に関白に就任するに際し近衛前久の養子となって藤原姓、翌年太政大臣就任に及んで朝廷から豊臣姓を受けた。秀吉政権下では一族や大名などに羽柴氏が称号として授与された。1615年の大坂夏の陣で豊臣秀頼が自害に追いやられたことで宗家は滅亡。明治になると日出藩主木下家の分家の交代寄合だったが羽柴に改姓して士族に列した。 ただし、同時代の出羽国にも「羽柴」姓を名乗る一族がいた。『』に名の見える羽柴勘十郎(橋間勘十郎、柴橋頼綱)などがいるが、この大江氏流寒河江氏の一族は上記の羽柴氏とは血縁などの関係はない。詳しくは「柴橋氏」の項目を参照。現在も山形県には羽柴を名乗る家が存在する。 (ja)
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  • 尾張国愛知郡中村 (ja)
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  • 山城国伏見城 (ja)
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  • 羽柴氏(はしばし/はじばうじ)は、武家・士族だった日本の氏族。木下藤吉郎(豊臣秀吉)は織田家重臣となった後の1575年に木下から羽柴に改めた。1585年に関白に就任するに際し近衛前久の養子となって藤原姓、翌年太政大臣就任に及んで朝廷から豊臣姓を受けた。秀吉政権下では一族や大名などに羽柴氏が称号として授与された。1615年の大坂夏の陣で豊臣秀頼が自害に追いやられたことで宗家は滅亡。明治になると日出藩主木下家の分家の交代寄合だったが羽柴に改姓して士族に列した。 ただし、同時代の出羽国にも「羽柴」姓を名乗る一族がいた。『』に名の見える羽柴勘十郎(橋間勘十郎、柴橋頼綱)などがいるが、この大江氏流寒河江氏の一族は上記の羽柴氏とは血縁などの関係はない。詳しくは「柴橋氏」の項目を参照。現在も山形県には羽柴を名乗る家が存在する。 (ja)
  • 羽柴氏(はしばし/はじばうじ)は、武家・士族だった日本の氏族。木下藤吉郎(豊臣秀吉)は織田家重臣となった後の1575年に木下から羽柴に改めた。1585年に関白に就任するに際し近衛前久の養子となって藤原姓、翌年太政大臣就任に及んで朝廷から豊臣姓を受けた。秀吉政権下では一族や大名などに羽柴氏が称号として授与された。1615年の大坂夏の陣で豊臣秀頼が自害に追いやられたことで宗家は滅亡。明治になると日出藩主木下家の分家の交代寄合だったが羽柴に改姓して士族に列した。 ただし、同時代の出羽国にも「羽柴」姓を名乗る一族がいた。『』に名の見える羽柴勘十郎(橋間勘十郎、柴橋頼綱)などがいるが、この大江氏流寒河江氏の一族は上記の羽柴氏とは血縁などの関係はない。詳しくは「柴橋氏」の項目を参照。現在も山形県には羽柴を名乗る家が存在する。 (ja)
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  • 羽柴氏 (ja)
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