中島 敦(なかじま あつし、1909年〈明治42年〉5月5日 - 1942年〈昭和17年〉12月4日)は、日本の小説家。代表作は『山月記』『光と風と夢』『弟子』『李陵』など。第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、横浜高等女学校の教員勤務のかたわら小説執筆を続け、パラオ南洋庁の官吏(教科書編修書記)を経て専業作家になるも、同年中に持病の喘息悪化のため33歳で病没。死後に出版された全集は毎日出版文化賞を受賞した。 その短い生涯に残した著作は、中国古典の歴史世界を題材にした作品や、南島から材を得た作品、古代伝説の体裁をとった奇譚・寓意物、自身の身辺を題材にした私小説的なものなど、未完作も含めわずか20篇たらずであったが、漢文調に基づいた硬質な文章の中に美しく響く叙情詩的な一節が印象的で、冷厳な自己解析や存在の哲学的な懐疑に裏打ちされた芸術性の高い作品として評価されている。 特に遺作となった『李陵』の評価は高く、死後に名声を上げた作品のひとつとして知られている。また、『山月記』は雑誌『文學界』に掲載されたことで中島敦の名を初めて世間に知らしめた作品であり、のちに新制高等学校の国語教科書に広く掲載され、多くの人々に読み継がれている。なお、自筆資料や遺品は神奈川近代文学館の「」に所蔵されている。

Property Value
dbo:abstract
  • 中島 敦(なかじま あつし、1909年〈明治42年〉5月5日 - 1942年〈昭和17年〉12月4日)は、日本の小説家。代表作は『山月記』『光と風と夢』『弟子』『李陵』など。第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、横浜高等女学校の教員勤務のかたわら小説執筆を続け、パラオ南洋庁の官吏(教科書編修書記)を経て専業作家になるも、同年中に持病の喘息悪化のため33歳で病没。死後に出版された全集は毎日出版文化賞を受賞した。 その短い生涯に残した著作は、中国古典の歴史世界を題材にした作品や、南島から材を得た作品、古代伝説の体裁をとった奇譚・寓意物、自身の身辺を題材にした私小説的なものなど、未完作も含めわずか20篇たらずであったが、漢文調に基づいた硬質な文章の中に美しく響く叙情詩的な一節が印象的で、冷厳な自己解析や存在の哲学的な懐疑に裏打ちされた芸術性の高い作品として評価されている。 特に遺作となった『李陵』の評価は高く、死後に名声を上げた作品のひとつとして知られている。また、『山月記』は雑誌『文學界』に掲載されたことで中島敦の名を初めて世間に知らしめた作品であり、のちに新制高等学校の国語教科書に広く掲載され、多くの人々に読み継がれている。なお、自筆資料や遺品は神奈川近代文学館の「」に所蔵されている。 (ja)
  • 中島 敦(なかじま あつし、1909年〈明治42年〉5月5日 - 1942年〈昭和17年〉12月4日)は、日本の小説家。代表作は『山月記』『光と風と夢』『弟子』『李陵』など。第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、横浜高等女学校の教員勤務のかたわら小説執筆を続け、パラオ南洋庁の官吏(教科書編修書記)を経て専業作家になるも、同年中に持病の喘息悪化のため33歳で病没。死後に出版された全集は毎日出版文化賞を受賞した。 その短い生涯に残した著作は、中国古典の歴史世界を題材にした作品や、南島から材を得た作品、古代伝説の体裁をとった奇譚・寓意物、自身の身辺を題材にした私小説的なものなど、未完作も含めわずか20篇たらずであったが、漢文調に基づいた硬質な文章の中に美しく響く叙情詩的な一節が印象的で、冷厳な自己解析や存在の哲学的な懐疑に裏打ちされた芸術性の高い作品として評価されている。 特に遺作となった『李陵』の評価は高く、死後に名声を上げた作品のひとつとして知られている。また、『山月記』は雑誌『文學界』に掲載されたことで中島敦の名を初めて世間に知らしめた作品であり、のちに新制高等学校の国語教科書に広く掲載され、多くの人々に読み継がれている。なお、自筆資料や遺品は神奈川近代文学館の「」に所蔵されている。 (ja)
dbo:activeYearsEndYear
  • 1942-01-01 (xsd:gYear)
dbo:activeYearsStartYear
  • 1927-01-01 (xsd:gYear)
dbo:deathDate
  • 1942-12-04 (xsd:date)
dbo:imageSize
  • 200 (xsd:integer)
dbo:thumbnail
dbo:wikiPageExternalLink
dbo:wikiPageID
  • 29531 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 104827 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 92111920 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:almaMater
  • 東京帝国大学文学部国文科 (ja)
  • 東京帝国大学文学部国文科 (ja)
prop-ja:awards
  • 第3回毎日出版文化賞(1949年) (ja)
  • 第3回毎日出版文化賞(1949年) (ja)
prop-ja:birthDate
  • 0001-05-05 (xsd:gMonthDay)
prop-ja:birthPlace
  • ・東京府東京市四谷区四谷箪笥町59番地(現:東京都新宿区四谷三栄町) (ja)
  • ・東京府東京市四谷区四谷箪笥町59番地(現:東京都新宿区四谷三栄町) (ja)
prop-ja:caption
  • 1940 (xsd:integer)
prop-ja:children
  • 次男・格(のぼる) (ja)
  • 長女・正子(生後3日目に死亡) (ja)
  • 長男・桓(たけし) (ja)
  • 次男・格(のぼる) (ja)
  • 長女・正子(生後3日目に死亡) (ja)
  • 長男・桓(たけし) (ja)
prop-ja:date
  • 2010-03-11 (xsd:date)
prop-ja:deathDate
  • 1942-12-04 (xsd:date)
prop-ja:deathPlace
  • ・東京府東京市世田谷区世田谷(現:東京都世田谷区世田谷一丁目32番18号) (ja)
  • 岡田病院(現:世田谷中央病院) (ja)
  • ・東京府東京市世田谷区世田谷(現:東京都世田谷区世田谷一丁目32番18号) (ja)
  • 岡田病院(現:世田谷中央病院) (ja)
prop-ja:debutWorks
  • 『古譚』(山月記、文字禍)(1942年) (ja)
  • 『古譚』(山月記、文字禍)(1942年) (ja)
prop-ja:education
prop-ja:genre
prop-ja:imageSize
  • 200 (xsd:integer)
prop-ja:influenced
prop-ja:influences
prop-ja:language
prop-ja:name
  • 中島 敦 (ja)
  • (なかじま あつし) (ja)
  • 中島 敦 (ja)
  • (なかじま あつし) (ja)
prop-ja:notableWorks
  • 『光と風と夢』(1942年) (ja)
  • 『山月記』(1942年) (ja)
  • 『弟子』(1943年) (ja)
  • 『文字禍』(1942年) (ja)
  • 『李陵』(1943年) (ja)
  • 『光と風と夢』(1942年) (ja)
  • 『山月記』(1942年) (ja)
  • 『弟子』(1943年) (ja)
  • 『文字禍』(1942年) (ja)
  • 『李陵』(1943年) (ja)
prop-ja:occupation
prop-ja:pages
  • 189 (xsd:integer)
prop-ja:period
  • 1927 (xsd:integer)
prop-ja:pid
  • 997741 (xsd:integer)
prop-ja:reference
  • 0001-01-01 (xsd:gMonthDay)
  • 勝又浩「「天」をもった文学者」『KAWADE道の手帖 中島敦 生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。 (ja)
  • 矢川澄子「中島敦における歌のわかれ」『KAWADE道の手帖 中島敦 生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。 (ja)
  • 村山吉廣『評伝・中島敦―家学からの視点』中央公論新社、2002年。。 (ja)
  • 『中島敦展 ― 魅せられた旅人の短い生涯』 神奈川近代文学館・展覧会図録。2019年9月。 (ja)
  • 吉田精一『現代日本文学史 第二版』筑摩書房、1984年。ISBN 978-4480820013。 (ja)
  • 西原大輔「書評 村山吉廣著 『評伝・中島敦―家学からの視点』」『比較文学』第46巻、2004年、103-106頁。 (ja)
  • 『没後五〇年 中島敦展 一閃の光芒』 神奈川近代文学館、1992年9月。。 (ja)
  • 『端正・格調高い文章を味わう 中島 敦』 宝島社〈別冊宝島 1625〉、2009年、ISBN 978-4-7966-7036-4。 (ja)
  • 青木純一「生に対する自意識の功罪について」『KAWADE道の手帖 中島敦 生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。 (ja)
  • 木村一信「中島敦」近代作家研究事典刊行会編『近代作家研究事典』 桜楓社、1983年。 (ja)
  • 武田泰淳「作家の狼疾――中島敦『わが西遊記』をよむ」『KAWADE道の手帖 中島敦 生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。 (ja)
  • 小沢秋広「「問い」の変位、「なぜ」から「どのように」『文字禍』を中心に」『KAWADE道の手帖 中島敦 生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。 (ja)
  • 佐野幹『「山月記」はなぜ国民教材となったのか』大修館書店、2013年。ISBN 978-4469222326。 (ja)
  • 『中島敦全集 別巻』 高橋英夫・勝又浩ほか編、筑摩書房、増訂版2002年。ISBN 4480738142。 (ja)
  • 「中島敦略年譜」『KAWADE道の手帖 中島敦 生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。 (ja)
  • 阿刀田高「中島敦・奇妙な味の短篇」日本ペンクラブ編『作家が語る作家』 講談社、2000年。ISBN 978-4062103862。 (ja)
  • 川村湊「中島敦入門 帝国に抗する力を表現した作家」『KAWADE道の手帖 中島敦 生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。川村2009b。 (ja)
  • 開高健「ケチくさくない作品」『KAWADE道の手帖 中島敦 生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。 (ja)
  • 川村湊『狼疾正伝 中島敦の文学と生涯』 河出書房新社、2009年。ISBN 9784309019215。川村2009a。 (ja)
  • 勝又浩『中島敦の遍歴』 筑摩書房、2004年。ISBN 4480823565。 (ja)
  • 福永武彦「中島敦、その世界の見取図」『KAWADE道の手帖 中島敦 生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。 (ja)
  • 岡谷公二「中島敦 南洋行の背景」『KAWADE道の手帖 中島敦 生誕100年、永遠に越境する文学』 河出書房新社、2009年。ISBN 978-4309740232。 (ja)
prop-ja:relations
  • dbpedia-ja:中島撫山
  • うら(叔母) (ja)
  • ふみ、志津(伯母) (ja)
  • 中島比多吉(叔父) (ja)
  • 中島田人(父)、チヨ(生母) (ja)
  • 中島靖、端、竦、翊、開蔵(伯父) (ja)
  • 桜庭幸雄(異父弟) (ja)
  • 澄子(異母妹)、折原一(甥) (ja)
prop-ja:restingPlace
prop-ja:spouse
  • 橋本タカ (ja)
  • 橋本タカ (ja)
prop-ja:subject
  • dbpedia-ja:哲学
  • 世界のきびしい悪意 (ja)
  • 中国古代武人の苦難と運命 (ja)
  • 存在の形而上学的不安 (ja)
  • 戦時下の知識人の孤独と苦悩 (ja)
  • 芸術家の自我と悲劇 (ja)
prop-ja:title
  • 『第10回企画展 図録 中島敦の『斗南先生』・実話』(旧久喜市公文書館ホームページ) (ja)
  • 『第4回企画展 図録 中島敦とその家系』(旧久喜市公文書館ホームページ) (ja)
  • 『第10回企画展 図録 中島敦の『斗南先生』・実話』(旧久喜市公文書館ホームページ) (ja)
  • 『第4回企画展 図録 中島敦とその家系』(旧久喜市公文書館ホームページ) (ja)
prop-ja:url
  • www.city.kuki.lg.jp/info/koubunsyo/tenji/no10/ (ja)
  • www.city.kuki.lg.jp/info/koubunsyo/tenji/no4/ (ja)
  • www.city.kuki.lg.jp/info/koubunsyo/tenji/no10/ (ja)
  • www.city.kuki.lg.jp/info/koubunsyo/tenji/no4/ (ja)
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
dct:subject
rdf:type
rdfs:comment
  • 中島 敦(なかじま あつし、1909年〈明治42年〉5月5日 - 1942年〈昭和17年〉12月4日)は、日本の小説家。代表作は『山月記』『光と風と夢』『弟子』『李陵』など。第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、横浜高等女学校の教員勤務のかたわら小説執筆を続け、パラオ南洋庁の官吏(教科書編修書記)を経て専業作家になるも、同年中に持病の喘息悪化のため33歳で病没。死後に出版された全集は毎日出版文化賞を受賞した。 その短い生涯に残した著作は、中国古典の歴史世界を題材にした作品や、南島から材を得た作品、古代伝説の体裁をとった奇譚・寓意物、自身の身辺を題材にした私小説的なものなど、未完作も含めわずか20篇たらずであったが、漢文調に基づいた硬質な文章の中に美しく響く叙情詩的な一節が印象的で、冷厳な自己解析や存在の哲学的な懐疑に裏打ちされた芸術性の高い作品として評価されている。 特に遺作となった『李陵』の評価は高く、死後に名声を上げた作品のひとつとして知られている。また、『山月記』は雑誌『文學界』に掲載されたことで中島敦の名を初めて世間に知らしめた作品であり、のちに新制高等学校の国語教科書に広く掲載され、多くの人々に読み継がれている。なお、自筆資料や遺品は神奈川近代文学館の「」に所蔵されている。 (ja)
  • 中島 敦(なかじま あつし、1909年〈明治42年〉5月5日 - 1942年〈昭和17年〉12月4日)は、日本の小説家。代表作は『山月記』『光と風と夢』『弟子』『李陵』など。第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、横浜高等女学校の教員勤務のかたわら小説執筆を続け、パラオ南洋庁の官吏(教科書編修書記)を経て専業作家になるも、同年中に持病の喘息悪化のため33歳で病没。死後に出版された全集は毎日出版文化賞を受賞した。 その短い生涯に残した著作は、中国古典の歴史世界を題材にした作品や、南島から材を得た作品、古代伝説の体裁をとった奇譚・寓意物、自身の身辺を題材にした私小説的なものなど、未完作も含めわずか20篇たらずであったが、漢文調に基づいた硬質な文章の中に美しく響く叙情詩的な一節が印象的で、冷厳な自己解析や存在の哲学的な懐疑に裏打ちされた芸術性の高い作品として評価されている。 特に遺作となった『李陵』の評価は高く、死後に名声を上げた作品のひとつとして知られている。また、『山月記』は雑誌『文學界』に掲載されたことで中島敦の名を初めて世間に知らしめた作品であり、のちに新制高等学校の国語教科書に広く掲載され、多くの人々に読み継がれている。なお、自筆資料や遺品は神奈川近代文学館の「」に所蔵されている。 (ja)
rdfs:label
  • 中島敦 (ja)
  • 中島敦 (ja)
owl:sameAs
prov:wasDerivedFrom
foaf:depiction
foaf:isPrimaryTopicOf
foaf:name
  • 中島 敦 (ja)
  • (なかじま あつし) (ja)
  • 中島 敦 (ja)
  • (なかじま あつし) (ja)
is dbo:wikiPageWikiLink of
is prop-ja:influences of
is prop-ja:relations of
is prop-ja:作者 of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of