天野 宗歩(あまの そうほ?そうふ?)、文化13年(1816年) - 安政6年5月13日(1859年6月13日))は、江戸時代末期の将棋指し。名前の読みは不明である。旧字表記では天野宗步。七段。門下。11代将軍徳川家斉から14代将軍徳川家茂までの人物である。時の名人は、十世の六代伊藤宗看であった。 大橋家、伊藤家といった将棋三家の出ではないため、当時世襲制だった名人には推挙されず、段位も七段までしか上がらなかったが、「実力十三段」と言われ、後に棋聖と呼ばれるようになる。十三世名人関根金次郎によって棋聖の称号が公式に認められた。現在のタイトルのひとつである「棋聖戦」は、ここに由来する。