小林 一三(こばやし いちぞう、1873年〈明治6年〉1月3日 - 1957年〈昭和32年〉1月25日)は、日本の実業家。阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。 鉄道を起点とした都市開発、流通事業を一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げた。これらの事業は後に阪急百貨店、宝塚歌劇団・東宝として阪急東宝グループを形成する。その過程で六甲山麓の高級住宅地の開発、学校法人関西学院等の高等教育機関の誘致や温泉、遊園地、野球場など娯楽施設の整備を行い、日本最初の田園都市構想を実現した。 小林は私鉄経営での成功により五代友厚など同じ関西の財界に携わった関西財界の雄と言われた。また阪急東宝グループ以外にも東京電燈、日本軽金属の経営に参画して日本の財界でも重鎮となり、後に政界に進出する処となった。 政界では、第2次近衛内閣の商工大臣を務めて革新官僚の商工次官・岸信介と対立。1941年(昭和16年)から貴族院勅選議員、幣原内閣で国務大臣、初代戦災復興院総裁を歴任したが、戦後、公職追放となった。 趣味の茶人、美術蒐集家としても大を成した。号は逸翁、別号に靄渓学人、靄渓山人。旧邸雅俗山荘に茶室が遺り、美術品は逸翁美術館に所蔵されている。

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  • 小林 一三(こばやし いちぞう、1873年〈明治6年〉1月3日 - 1957年〈昭和32年〉1月25日)は、日本の実業家。阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。 鉄道を起点とした都市開発、流通事業を一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げた。これらの事業は後に阪急百貨店、宝塚歌劇団・東宝として阪急東宝グループを形成する。その過程で六甲山麓の高級住宅地の開発、学校法人関西学院等の高等教育機関の誘致や温泉、遊園地、野球場など娯楽施設の整備を行い、日本最初の田園都市構想を実現した。 小林は私鉄経営での成功により五代友厚など同じ関西の財界に携わった関西財界の雄と言われた。また阪急東宝グループ以外にも東京電燈、日本軽金属の経営に参画して日本の財界でも重鎮となり、後に政界に進出する処となった。 政界では、第2次近衛内閣の商工大臣を務めて革新官僚の商工次官・岸信介と対立。1941年(昭和16年)から貴族院勅選議員、幣原内閣で国務大臣、初代戦災復興院総裁を歴任したが、戦後、公職追放となった。 趣味の茶人、美術蒐集家としても大を成した。号は逸翁、別号に靄渓学人、靄渓山人。旧邸雅俗山荘に茶室が遺り、美術品は逸翁美術館に所蔵されている。 (ja)
  • 小林 一三(こばやし いちぞう、1873年〈明治6年〉1月3日 - 1957年〈昭和32年〉1月25日)は、日本の実業家。阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。 鉄道を起点とした都市開発、流通事業を一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げた。これらの事業は後に阪急百貨店、宝塚歌劇団・東宝として阪急東宝グループを形成する。その過程で六甲山麓の高級住宅地の開発、学校法人関西学院等の高等教育機関の誘致や温泉、遊園地、野球場など娯楽施設の整備を行い、日本最初の田園都市構想を実現した。 小林は私鉄経営での成功により五代友厚など同じ関西の財界に携わった関西財界の雄と言われた。また阪急東宝グループ以外にも東京電燈、日本軽金属の経営に参画して日本の財界でも重鎮となり、後に政界に進出する処となった。 政界では、第2次近衛内閣の商工大臣を務めて革新官僚の商工次官・岸信介と対立。1941年(昭和16年)から貴族院勅選議員、幣原内閣で国務大臣、初代戦災復興院総裁を歴任したが、戦後、公職追放となった。 趣味の茶人、美術蒐集家としても大を成した。号は逸翁、別号に靄渓学人、靄渓山人。旧邸雅俗山荘に茶室が遺り、美術品は逸翁美術館に所蔵されている。 (ja)
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  • 小林 一三(こばやし いちぞう、1873年〈明治6年〉1月3日 - 1957年〈昭和32年〉1月25日)は、日本の実業家。阪急電鉄をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者。 鉄道を起点とした都市開発、流通事業を一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げた。これらの事業は後に阪急百貨店、宝塚歌劇団・東宝として阪急東宝グループを形成する。その過程で六甲山麓の高級住宅地の開発、学校法人関西学院等の高等教育機関の誘致や温泉、遊園地、野球場など娯楽施設の整備を行い、日本最初の田園都市構想を実現した。 小林は私鉄経営での成功により五代友厚など同じ関西の財界に携わった関西財界の雄と言われた。また阪急東宝グループ以外にも東京電燈、日本軽金属の経営に参画して日本の財界でも重鎮となり、後に政界に進出する処となった。 政界では、第2次近衛内閣の商工大臣を務めて革新官僚の商工次官・岸信介と対立。1941年(昭和16年)から貴族院勅選議員、幣原内閣で国務大臣、初代戦災復興院総裁を歴任したが、戦後、公職追放となった。 趣味の茶人、美術蒐集家としても大を成した。号は逸翁、別号に靄渓学人、靄渓山人。旧邸雅俗山荘に茶室が遺り、美術品は逸翁美術館に所蔵されている。 (ja)
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