野田 豁通(のだ ひろみち、1844年9月6日(天保15年7月24日) - 1913年(大正2年)1月6日)は、日本の武士(熊本藩士)、陸軍軍人、陸軍経理組織の創設者。最終階級は陸軍監督総監(のちの陸軍主計総監)。 箱館戦争軍監、初代青森県知事、日清戦争の野戦監督長官、男爵、貴族院議員を歴任した。清浦奎吾、後藤新平、斎藤実、柴五郎などを見出し、庇護・育成した。