東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)12月30日 - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸士17期・陸大27期。階級は陸軍大将。栄典は従二位勲一等功二級。岩手県出身。 現在の百科事典や文科省検定教科書等では新字体で東条 英機と表記されることが多い。 東條英教(陸軍中将)は父。東條かつ子は妻。東條輝雄(三菱自動車工業 社長・会長)・東條敏夫(空将補)は子。 陸軍次官、陸軍航空総監、陸軍大臣、参謀総長、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣、外務大臣、文部大臣、商工大臣、軍需大臣を歴任した。第二次世界大戦後に極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)でA級戦犯となり、死刑判決を受けて処刑された。 永田鉄山死後、統制派の第一人者として陸軍を主導し、現役軍人のまま第40代内閣総理大臣に就任(東條内閣、在任期間は1941年(昭和16年)10月18日 - 1944年(昭和19年)7月18日)。在任中に太平洋戦争(1941年12月 - )が開戦した。 権力強化を志向し複数の大臣を兼任、1944年(昭和19年)2月からは慣例を破って陸軍大臣と参謀総長も兼任した。 日本降伏後に拳銃自殺を図るが、連合国軍による治療により一命を取り留める。

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  • 東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)12月30日 - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸士17期・陸大27期。階級は陸軍大将。栄典は従二位勲一等功二級。岩手県出身。 現在の百科事典や文科省検定教科書等では新字体で東条 英機と表記されることが多い。 東條英教(陸軍中将)は父。東條かつ子は妻。東條輝雄(三菱自動車工業 社長・会長)・東條敏夫(空将補)は子。 陸軍次官、陸軍航空総監、陸軍大臣、参謀総長、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣、外務大臣、文部大臣、商工大臣、軍需大臣を歴任した。第二次世界大戦後に極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)でA級戦犯となり、死刑判決を受けて処刑された。 永田鉄山死後、統制派の第一人者として陸軍を主導し、現役軍人のまま第40代内閣総理大臣に就任(東條内閣、在任期間は1941年(昭和16年)10月18日 - 1944年(昭和19年)7月18日)。在任中に太平洋戦争(1941年12月 - )が開戦した。 権力強化を志向し複数の大臣を兼任、1944年(昭和19年)2月からは慣例を破って陸軍大臣と参謀総長も兼任した。 日本降伏後に拳銃自殺を図るが、連合国軍による治療により一命を取り留める。 その後、連合国によって行われた東京裁判にて開戦の罪(A級)および殺人の罪(BC級)として起訴された。1948年(昭和23年)11月12日に絞首刑の判決が言い渡され、1948年(昭和23年)12月23日、巣鴨拘置所で死刑執行された。享年65(満64歳)。 遺言でも、現実には侵略戦争であるのに、それを否定したまま処刑され、考えを変えることはなかった。(戦後の日本政府は総理の談話により侵略戦争である旨をはっきりと認め、その方針は継承されて度々表明されている。)また、靖国神社に合祀されたため、合祀後、昭和天皇が靖国神社への参拝をやめたとされる。 (ja)
  • 東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)12月30日 - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸士17期・陸大27期。階級は陸軍大将。栄典は従二位勲一等功二級。岩手県出身。 現在の百科事典や文科省検定教科書等では新字体で東条 英機と表記されることが多い。 東條英教(陸軍中将)は父。東條かつ子は妻。東條輝雄(三菱自動車工業 社長・会長)・東條敏夫(空将補)は子。 陸軍次官、陸軍航空総監、陸軍大臣、参謀総長、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣、外務大臣、文部大臣、商工大臣、軍需大臣を歴任した。第二次世界大戦後に極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)でA級戦犯となり、死刑判決を受けて処刑された。 永田鉄山死後、統制派の第一人者として陸軍を主導し、現役軍人のまま第40代内閣総理大臣に就任(東條内閣、在任期間は1941年(昭和16年)10月18日 - 1944年(昭和19年)7月18日)。在任中に太平洋戦争(1941年12月 - )が開戦した。 権力強化を志向し複数の大臣を兼任、1944年(昭和19年)2月からは慣例を破って陸軍大臣と参謀総長も兼任した。 日本降伏後に拳銃自殺を図るが、連合国軍による治療により一命を取り留める。 その後、連合国によって行われた東京裁判にて開戦の罪(A級)および殺人の罪(BC級)として起訴された。1948年(昭和23年)11月12日に絞首刑の判決が言い渡され、1948年(昭和23年)12月23日、巣鴨拘置所で死刑執行された。享年65(満64歳)。 遺言でも、現実には侵略戦争であるのに、それを否定したまま処刑され、考えを変えることはなかった。(戦後の日本政府は総理の談話により侵略戦争である旨をはっきりと認め、その方針は継承されて度々表明されている。)また、靖国神社に合祀されたため、合祀後、昭和天皇が靖国神社への参拝をやめたとされる。 (ja)
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  • 外務大臣 (ja)
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  • 参謀総長 (ja)
  • 軍需大臣 (ja)
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  • 東條の言は、あなたは我々の傀儡だと言っているのに等しい内容であった。 (ja)
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  • 初代 軍需大臣 (ja)
  • 第24代 商工大臣 (ja)
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  • 東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)12月30日 - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸士17期・陸大27期。階級は陸軍大将。栄典は従二位勲一等功二級。岩手県出身。 現在の百科事典や文科省検定教科書等では新字体で東条 英機と表記されることが多い。 東條英教(陸軍中将)は父。東條かつ子は妻。東條輝雄(三菱自動車工業 社長・会長)・東條敏夫(空将補)は子。 陸軍次官、陸軍航空総監、陸軍大臣、参謀総長、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣、外務大臣、文部大臣、商工大臣、軍需大臣を歴任した。第二次世界大戦後に極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)でA級戦犯となり、死刑判決を受けて処刑された。 永田鉄山死後、統制派の第一人者として陸軍を主導し、現役軍人のまま第40代内閣総理大臣に就任(東條内閣、在任期間は1941年(昭和16年)10月18日 - 1944年(昭和19年)7月18日)。在任中に太平洋戦争(1941年12月 - )が開戦した。 権力強化を志向し複数の大臣を兼任、1944年(昭和19年)2月からは慣例を破って陸軍大臣と参謀総長も兼任した。 日本降伏後に拳銃自殺を図るが、連合国軍による治療により一命を取り留める。 (ja)
  • 東條 英機(とうじょう ひでき、1884年(明治17年)12月30日 - 1948年(昭和23年)12月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸士17期・陸大27期。階級は陸軍大将。栄典は従二位勲一等功二級。岩手県出身。 現在の百科事典や文科省検定教科書等では新字体で東条 英機と表記されることが多い。 東條英教(陸軍中将)は父。東條かつ子は妻。東條輝雄(三菱自動車工業 社長・会長)・東條敏夫(空将補)は子。 陸軍次官、陸軍航空総監、陸軍大臣、参謀総長、内閣総理大臣(第40代)、内務大臣、外務大臣、文部大臣、商工大臣、軍需大臣を歴任した。第二次世界大戦後に極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)でA級戦犯となり、死刑判決を受けて処刑された。 永田鉄山死後、統制派の第一人者として陸軍を主導し、現役軍人のまま第40代内閣総理大臣に就任(東條内閣、在任期間は1941年(昭和16年)10月18日 - 1944年(昭和19年)7月18日)。在任中に太平洋戦争(1941年12月 - )が開戦した。 権力強化を志向し複数の大臣を兼任、1944年(昭和19年)2月からは慣例を破って陸軍大臣と参謀総長も兼任した。 日本降伏後に拳銃自殺を図るが、連合国軍による治療により一命を取り留める。 (ja)
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