日本産業(略称、日産)・コンツェルンは、日本産業を持ち株会社とし、コンツェルン化した戦前の財閥。日本の財閥で十五大財閥の1つで、鮎川財閥とも呼ばれる。井上馨の甥であった鮎川義介が、創設した戸畑鋳物株式会社、及び、久原鉱業を改組した日本産業株式会社を基とする。日本産業の傘下に、日立鉱山(久原鉱業、 日本鉱業、 ジャパンエナジー、 新日鉱ホールディングス、JXホールディングス、JXTGホールディングスを経て現在のENEOSホールディングス)、独立した機械・銅線部門の日立製作所など他に、日産自動車グループを加える。 新興財閥ながら、製造業に関しては三菱、三井などの先行財閥をも凌駕する規模を築き上げた。戦後は、解体されたまま資本の結集は行われていない。もともと金融・商事部門は弱かった。現在は福利厚生施設の共有、情報交換等を中心にした春光懇話会(131社加盟)という形で存続している。歴代会長と事務局は日立製作所がメンバー最大企業であった期間もずっと源流企業の日本鉱業→ジャパンエナジー→新日鉱ホールディングスが担当していたが(会の名称そのものが日本鉱業社長の雅号に由来している)、ENEOSホールディングスへの合併の数年後、純血後継企業ではなくなったこともあり、日立へその座を譲っている。