日本医療団(にっぽんいりょうだん)とは、第二次世界大戦中の日本に存在した特殊法人。日本全国における医療の普及とその内容の向上を目的に設立された。戦時下の1942年(昭和17年)に結成され、終戦後の1947年に解散した。 日本医療団は病院の経営、医療従事者の育成を行なうこととされた。病院経営については、病院を一般体系と特別体系に大別し、一般体系として * 中央総合病院(500床)を2ヵ所 * 道府県総合病院(250床)を47ヵ所 * 地方総合病院(50床)を588ヵ所 * 地方診療所を無医町村に それぞれ設置する構想を立てた。 特別体系としては結核根絶のため、結核病院の病床数を10万床に拡大することとした。結核医療の実施のため、1943年2月13日付で厚生省衛生局長と内務省地方局長は連名で「結核療養所ノ統合ニ関スル件」として地方長官宛に通知を行ない、これに基づいて地方の結核療養所が4月1日に日本医療団に統合された。結核療養所は1947年4月1日に国立療養所に転換する。