天竺徳兵衛(てんじく とくべえ、慶長17年(1612年)? - ?)は、江戸時代前期の人物。播磨国高砂(現在の兵庫県高砂市)の人。日本人の海外渡航が禁止される以前の寛永年間、10代で朱印船に乗り、当時「天竺」と認識されていたシャム(現在のタイ、当時はアユタヤ王朝)へ2度にわたって渡航した。晩年に剃髪して宗心を名乗り、かつての海外渡航での見聞をまとめたとされる。 いわゆる「鎖国」下の海外への関心・興味の中で、その海外渡航譚は写本が重ねられ、虚実の入り混じった形で流布した。高砂の徳兵衛は「近世社会で最も知られた、海外渡航を経験した人物の一人」となり、やがて「天竺徳兵衛」の異名で語られる、娯楽性を強めた物語の主人公となった。さらに浄瑠璃や歌舞伎などの作品では、先行キャラクターの要素を取り込んだことで「日本転覆を目指す蝦蟇の妖術使い」として登場することとなり、「天竺徳兵衛もの(天徳もの)」と呼ばれる一ジャンルを生み出した。

Property Value
dbo:abstract
  • 天竺徳兵衛(てんじく とくべえ、慶長17年(1612年)? - ?)は、江戸時代前期の人物。播磨国高砂(現在の兵庫県高砂市)の人。日本人の海外渡航が禁止される以前の寛永年間、10代で朱印船に乗り、当時「天竺」と認識されていたシャム(現在のタイ、当時はアユタヤ王朝)へ2度にわたって渡航した。晩年に剃髪して宗心を名乗り、かつての海外渡航での見聞をまとめたとされる。 いわゆる「鎖国」下の海外への関心・興味の中で、その海外渡航譚は写本が重ねられ、虚実の入り混じった形で流布した。高砂の徳兵衛は「近世社会で最も知られた、海外渡航を経験した人物の一人」となり、やがて「天竺徳兵衛」の異名で語られる、娯楽性を強めた物語の主人公となった。さらに浄瑠璃や歌舞伎などの作品では、先行キャラクターの要素を取り込んだことで「日本転覆を目指す蝦蟇の妖術使い」として登場することとなり、「天竺徳兵衛もの(天徳もの)」と呼ばれる一ジャンルを生み出した。 (ja)
  • 天竺徳兵衛(てんじく とくべえ、慶長17年(1612年)? - ?)は、江戸時代前期の人物。播磨国高砂(現在の兵庫県高砂市)の人。日本人の海外渡航が禁止される以前の寛永年間、10代で朱印船に乗り、当時「天竺」と認識されていたシャム(現在のタイ、当時はアユタヤ王朝)へ2度にわたって渡航した。晩年に剃髪して宗心を名乗り、かつての海外渡航での見聞をまとめたとされる。 いわゆる「鎖国」下の海外への関心・興味の中で、その海外渡航譚は写本が重ねられ、虚実の入り混じった形で流布した。高砂の徳兵衛は「近世社会で最も知られた、海外渡航を経験した人物の一人」となり、やがて「天竺徳兵衛」の異名で語られる、娯楽性を強めた物語の主人公となった。さらに浄瑠璃や歌舞伎などの作品では、先行キャラクターの要素を取り込んだことで「日本転覆を目指す蝦蟇の妖術使い」として登場することとなり、「天竺徳兵衛もの(天徳もの)」と呼ばれる一ジャンルを生み出した。 (ja)
dbo:thumbnail
dbo:wikiPageExternalLink
dbo:wikiPageID
  • 2045446 (xsd:integer)
dbo:wikiPageLength
  • 34882 (xsd:nonNegativeInteger)
dbo:wikiPageRevisionID
  • 92476368 (xsd:integer)
dbo:wikiPageWikiLink
prop-ja:wikiPageUsesTemplate
dct:subject
rdfs:comment
  • 天竺徳兵衛(てんじく とくべえ、慶長17年(1612年)? - ?)は、江戸時代前期の人物。播磨国高砂(現在の兵庫県高砂市)の人。日本人の海外渡航が禁止される以前の寛永年間、10代で朱印船に乗り、当時「天竺」と認識されていたシャム(現在のタイ、当時はアユタヤ王朝)へ2度にわたって渡航した。晩年に剃髪して宗心を名乗り、かつての海外渡航での見聞をまとめたとされる。 いわゆる「鎖国」下の海外への関心・興味の中で、その海外渡航譚は写本が重ねられ、虚実の入り混じった形で流布した。高砂の徳兵衛は「近世社会で最も知られた、海外渡航を経験した人物の一人」となり、やがて「天竺徳兵衛」の異名で語られる、娯楽性を強めた物語の主人公となった。さらに浄瑠璃や歌舞伎などの作品では、先行キャラクターの要素を取り込んだことで「日本転覆を目指す蝦蟇の妖術使い」として登場することとなり、「天竺徳兵衛もの(天徳もの)」と呼ばれる一ジャンルを生み出した。 (ja)
  • 天竺徳兵衛(てんじく とくべえ、慶長17年(1612年)? - ?)は、江戸時代前期の人物。播磨国高砂(現在の兵庫県高砂市)の人。日本人の海外渡航が禁止される以前の寛永年間、10代で朱印船に乗り、当時「天竺」と認識されていたシャム(現在のタイ、当時はアユタヤ王朝)へ2度にわたって渡航した。晩年に剃髪して宗心を名乗り、かつての海外渡航での見聞をまとめたとされる。 いわゆる「鎖国」下の海外への関心・興味の中で、その海外渡航譚は写本が重ねられ、虚実の入り混じった形で流布した。高砂の徳兵衛は「近世社会で最も知られた、海外渡航を経験した人物の一人」となり、やがて「天竺徳兵衛」の異名で語られる、娯楽性を強めた物語の主人公となった。さらに浄瑠璃や歌舞伎などの作品では、先行キャラクターの要素を取り込んだことで「日本転覆を目指す蝦蟇の妖術使い」として登場することとなり、「天竺徳兵衛もの(天徳もの)」と呼ばれる一ジャンルを生み出した。 (ja)
rdfs:label
  • 天竺徳兵衛 (ja)
  • 天竺徳兵衛 (ja)
owl:sameAs
prov:wasDerivedFrom
foaf:depiction
foaf:isPrimaryTopicOf
is dbo:wikiPageWikiLink of
is owl:sameAs of
is foaf:primaryTopic of