二葉亭 四迷(ふたばてい しめい、1864年4月4日(元治元年2月28日) - 1909年(明治42年)5月10日)は、日本の小説家、翻訳家。 本名長谷川辰之助(はせがわたつのすけ)。筆名の由来は、処女作『浮雲』に対する卑下、特に坪内逍遥の名を借りて出版したことに対して、自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったことによる。文学に理解のなかった父に言われたというのは俗説である(『予が半生の懺悔』)。長谷川二葉亭とも呼ばれる。別の号に冷々亭主人、杏雨。 江戸市ヶ谷生れ。彼の自筆履歴書によると、1883年2月1日から1885年12月25日まで、当時の専修学校(現在の専修大学)で学び、その後卒業した。また、東京外国語学校(現東京外国語大学)露語科入学後、同科が改組されてできた東京商業学校(現一橋大学)第三部露語科を1886年1月に中退。 坪内逍遥と交流を結び、その勧めで評論『小説総論』を発表。1887年~1891年の間に出された写実主義小説『浮雲』は言文一致体で書かれ、日本の近代小説の開祖となった。また、ロシア文学の翻訳も多くてがけ、ツルゲーネフの「あひゞき」「めぐりあひ」は特に有名。自然主義作家へ大きな影響を与えた。 後に『其面影』『平凡』を書いたが、1909年、ロシア赴任からの帰国途中、ベンガル湾上で客死した。

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  • 二葉亭 四迷(ふたばてい しめい、1864年4月4日(元治元年2月28日) - 1909年(明治42年)5月10日)は、日本の小説家、翻訳家。 本名長谷川辰之助(はせがわたつのすけ)。筆名の由来は、処女作『浮雲』に対する卑下、特に坪内逍遥の名を借りて出版したことに対して、自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったことによる。文学に理解のなかった父に言われたというのは俗説である(『予が半生の懺悔』)。長谷川二葉亭とも呼ばれる。別の号に冷々亭主人、杏雨。 江戸市ヶ谷生れ。彼の自筆履歴書によると、1883年2月1日から1885年12月25日まで、当時の専修学校(現在の専修大学)で学び、その後卒業した。また、東京外国語学校(現東京外国語大学)露語科入学後、同科が改組されてできた東京商業学校(現一橋大学)第三部露語科を1886年1月に中退。 坪内逍遥と交流を結び、その勧めで評論『小説総論』を発表。1887年~1891年の間に出された写実主義小説『浮雲』は言文一致体で書かれ、日本の近代小説の開祖となった。また、ロシア文学の翻訳も多くてがけ、ツルゲーネフの「あひゞき」「めぐりあひ」は特に有名。自然主義作家へ大きな影響を与えた。 後に『其面影』『平凡』を書いたが、1909年、ロシア赴任からの帰国途中、ベンガル湾上で客死した。 (ja)
  • 二葉亭 四迷(ふたばてい しめい、1864年4月4日(元治元年2月28日) - 1909年(明治42年)5月10日)は、日本の小説家、翻訳家。 本名長谷川辰之助(はせがわたつのすけ)。筆名の由来は、処女作『浮雲』に対する卑下、特に坪内逍遥の名を借りて出版したことに対して、自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったことによる。文学に理解のなかった父に言われたというのは俗説である(『予が半生の懺悔』)。長谷川二葉亭とも呼ばれる。別の号に冷々亭主人、杏雨。 江戸市ヶ谷生れ。彼の自筆履歴書によると、1883年2月1日から1885年12月25日まで、当時の専修学校(現在の専修大学)で学び、その後卒業した。また、東京外国語学校(現東京外国語大学)露語科入学後、同科が改組されてできた東京商業学校(現一橋大学)第三部露語科を1886年1月に中退。 坪内逍遥と交流を結び、その勧めで評論『小説総論』を発表。1887年~1891年の間に出された写実主義小説『浮雲』は言文一致体で書かれ、日本の近代小説の開祖となった。また、ロシア文学の翻訳も多くてがけ、ツルゲーネフの「あひゞき」「めぐりあひ」は特に有名。自然主義作家へ大きな影響を与えた。 後に『其面影』『平凡』を書いたが、1909年、ロシア赴任からの帰国途中、ベンガル湾上で客死した。 (ja)
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  • 二葉亭 四迷(ふたばてい しめい、1864年4月4日(元治元年2月28日) - 1909年(明治42年)5月10日)は、日本の小説家、翻訳家。 本名長谷川辰之助(はせがわたつのすけ)。筆名の由来は、処女作『浮雲』に対する卑下、特に坪内逍遥の名を借りて出版したことに対して、自身を「くたばって仕舞(め)え」と罵ったことによる。文学に理解のなかった父に言われたというのは俗説である(『予が半生の懺悔』)。長谷川二葉亭とも呼ばれる。別の号に冷々亭主人、杏雨。 江戸市ヶ谷生れ。彼の自筆履歴書によると、1883年2月1日から1885年12月25日まで、当時の専修学校(現在の専修大学)で学び、その後卒業した。また、東京外国語学校(現東京外国語大学)露語科入学後、同科が改組されてできた東京商業学校(現一橋大学)第三部露語科を1886年1月に中退。 坪内逍遥と交流を結び、その勧めで評論『小説総論』を発表。1887年~1891年の間に出された写実主義小説『浮雲』は言文一致体で書かれ、日本の近代小説の開祖となった。また、ロシア文学の翻訳も多くてがけ、ツルゲーネフの「あひゞき」「めぐりあひ」は特に有名。自然主義作家へ大きな影響を与えた。 後に『其面影』『平凡』を書いたが、1909年、ロシア赴任からの帰国途中、ベンガル湾上で客死した。 (ja)
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