東映ポルノ(とうえいポルノ)は、日本の大手映画会社である東映が1960年代後半から製作を開始したエロティックな映画の総称。 初出と見られるのは『週刊朝日』1971年11月26日号の池玲子のインタビュー記事で、「東映ポルノの看板スター池玲子」と小見出しがあり、『週刊映画ニュース』1971年12月4日号に「東映ポルノ映画」と書かれている。 『近代映画』(近代映画社)1972年3月号の「ポルノ女優の身上調査」という記事にも「日活ポルノ対東映ポルノ」という小見出しがある。以降も、"東映ポルノ"という言葉は多くの文献で使われている。 製作の始まりは1967年頃、終了は東映を含めた大手映画会社が一本立て興行に移行した1970年代の終わりと見られる。 "ポルノ"という言葉は、この"東映ポルノ"から生まれた言葉とされ、荒木一郎は「"日活ロマンポルノ"は、"東映ポルノ"のまねをした」と述べている。 東映の社史等、東映発展史に関する資料にも、東映ポルノの記載はほとんどされず、これまで研究的価値は看過されてきたが、"戦う女性"というイメージを切り口として日本映画史を俯瞰してみると重要な存在とする評価もあり、"東映ポルノ"は多くの先駆的業績を生んでいる。