護郷隊(ごきょうたい)は、太平洋戦争末期の沖縄戦時、10代半ばの少年兵により構成された日本軍のゲリラ戦部隊である。隊長は、諜報や秘密作戦を専門とする陸軍中野学校出身の将校が務めた。第一護郷隊、第二護郷隊の二隊が組織され、沖縄本島南部で日本軍の組織的抵抗が終わった後の1945年7月中旬に解散するまで、北部山岳地帯に拠って活動した。約1000名の隊員のうち160人が戦死したが、秘密部隊であったため軍人恩給などは支給されなかった。防衛召集は1944年9月から1945年3月にかけてで、その多くが14歳から18歳の沖縄の少年たちだった。