神保 長誠(じんぼう ながのぶ、生年不詳 - 文亀元年11月18日(1501年12月28日))は、室町時代から戦国時代の武将。越中放生津城を拠点とする射水・婦負郡守護代及び紀伊分郡守護代であり、畠山尾州家の畠山政長・尚順の家臣である。 父については、畠山持国の後継者を巡って息子の畠山義就を推す達と争い、没落した持国の甥の畠山弥三郎派のであると推測されるが定かではない。通称は越前守、宗右衛門尉、孫三郎。子に慶宗、慶明。