楊 茂(よう ぼう、朝鮮語: 양무、生没年不詳)または司馬 楊茂(しば ようぼう)は、百済蓋鹵王から東城王時代にかけての武将、官吏。官職は司馬。中国人名であるため、百済に帰化していた中国人とみられる。出自については、中国東北部出身という説と漢の朝鮮植民地楽浪郡・帯方郡の漢人遺民、具体的に楽浪楊氏という説がある。