張 茂(ちょう ぼう、朝鮮語: 장무、生没年不詳)は、百済蓋鹵王代に北魏に使臣として派遣された百済官僚。中国系の百済人。官職は司馬。高句麗の圧迫にさらされた百済は中国南朝と緊密な関係を維持する一方、472年にはじめて北朝である北魏と交渉をもち、援軍を要請する。この時に外交使節として張茂は北魏に派遣され、援軍を要請したが、目的を達成することはできなかった。このような百済の重大事案に参加している点、張茂が「龍驤將軍帶方太守司馬」という点を鑑みると、張茂は百済国内で相当の高位であったことが理解できる。