暉子内親王(きしないしんのう、安貞2年(1228年) - 正安2年5月3日(1300年5月22日))は、鎌倉時代前期から後期にかけての皇族。後堀河天皇の第一皇女で、母は持明院家行の娘(『女院小伝』)、異説に九条竴子(『本朝皇胤紹運録』)。幼名は持明院宮。女院号は室町院。 歴代の女院中、不婚で后妃にも准母にもならなかった内親王が女院とされた唯一の例である。